TEAR Last Episode

涙を流し、想いを伝えるから、また前へと歩み出せる。

担当者 米澤 遼太
施行会館 ティア緑

母の死に、ただ立ち尽くす
2人の息子様。

秋も深まりはじめた10月、故人様を病院にお迎えに行くと、病室の前には2人の息子様が、言葉なく立ち尽くしていらっしゃいました。

故人である奥様は45歳という若さで、高校生、中学生の息子様と旦那様を残し、逝かれました。乳がんを発症、その後転移し、入退院を繰り返していらっしゃいました。私はいたたまれない想いで2人の息子様に近寄り「私がお母様の葬儀を担当します。お母様のためにやり残したこと、やってあげたいことがあれば何でも言ってください」と、率直に声をかけました。しかし、2人ともただ静かに頷くだけでした。

息子様、喪主の旦那様とともに会館へ向かい、故人様の人となりなどを知っておくために事前に書いていただいたアンケートを見ると、そこには旦那様の奥様への愛がぎっしりと綴られていました。旦那様は飲食店の店長で、奥様はアルバイトだったこと。奥様は旦那様をいつも支えてくれ、明るく優しい性格が好きになって結婚されたこと。出会いの馴れ初めから、奥様の人柄、数々の思い出について丁寧に書かれていました。旦那様は、暗い表情一つ見せることなく葬儀の準備をされていましたが、「内心はどれほど悲しいことだろう。ましてや2人の若い息子様は・・・」という想いが頭によぎり、私は葬儀の打合せに入る前、「旦那様のご心情はもちろんお察ししますが、お子様の多感な心も壊れそうなくらい傷ついていると思います。どうか2人の息子様が、お母様にしてあげたい葬儀をさせていただけないでしょうか?」と、旦那様にお願いしました。まったく涙を流さない2人の息子様をそのままにしておくことは、私にはとてもできなかったからです。旦那様は「分かりました。おまかせします」とおっしゃってくださり、旦那様には同席していただき、2人の息子様と私とで一つひとつ、葬儀の内容を決めていきました。

泣いて欲しかった。
お母様への想いを伝えて欲しかった。

ピンク色が好きだった故人様のために、棺も祭壇も、脇花もみんな淡いピンクで揃えました。また式場内では、ライブにもよく行かれていたX JAPANの曲を流し、ライブ会場のように、椅子を円形に、互い違いに並べることにしました。こうすることで、ウエディングドレスを着て微笑む故人様の遺影をどこに座っても見ることができます。

X JAPANの「エンドレスレイン」が流れる中、通夜がはじまりました。2人の息子様は、式場の隅にじっと座っていました。故人様の人柄や思い出を語るナレーションを私が読んだときに少し涙を流しただけで、ずっとうつむいたままでした。それ以上、息子様は涙を見せず、通夜は終わりました。

私は2人の息子様に、思いっきり泣いて、お母様への想いを伝えて欲しいと強く思いました。心の中にある想いを打ち明け、悲しみの感情を涙で流すことではじめて気持ちの整理がつき、前を向くことができるからです。

次の日の開式前、私は、息子様に「誰にも聞かれたくないお母様への想いもあると思います。ここに何でも書いてください」とメッセージカードを手渡しました。2人ともすぐに書きはじめました。1枚では書ききれず「もう1枚、もらってもいいですか?」と何枚も、ひたむきにお母様への想いを書き綴っていました。

突然差し出されたコスモスに、
あふれ出す涙。

葬儀、告別式のときを迎えました。息子様は2人とも、相変わらず涙を流すことなくただ席に座っていました。お別れの時が来ても2人は動こうとせず、ご親族に連れられて、ようやく棺に近づきました。本来ならば、皆様が花を手向けた後、ご親族の皆様と棺の蓋を閉め、会館のエントランスへと向かいます。しかしこの時だけはご親族、一般の方々には先にエントランスへ移動していただき、出棺直前まで家族4人だけの時間を過ごしてもらいました。2人の息子様は、通夜の後に書いたメッセージカードをそっと棺に入れました。喪主の旦那様も懐から手紙を出し、最愛の奥様の胸元に置かれました。

私は故人様がお好きだったメロンなどのフルーツを喪主様に手渡し、その後、淡いピンクのコスモスを5輪差し出しました。息子様も、喪主様も驚き、涙があふれ、声をあげて泣かれました。

実は前日の打合せで、故人様の好きだったコスモスを棺に入れたいというご要望があったのですが、シーズンオフでどこの花屋に問合せても手配できず、お断りをしていました。しかし、私は諦めきれず、通夜が終わった後、インターネットで検索したところ、その日、誰かが書いたブログが目に止まりました。豊田市のとある場所にコスモスが咲いていたと写真付きで書かれていたのです。私はすぐさま会館から車で40分ほどの距離にある、その場所に向かいました。周辺を探してみると草むらから数本のコスモスが顔をのぞかせ、たくましく、美しく咲いていました。それはまるでガンと闘いながらも明るく生きた故人様の姿のようでした。

葬儀が終わり、喪主様と今後の回忌法要のお話を終え、お別れの挨拶をしました。喪主様が車に乗り込むのを見送ろうとエントランスに出ると、先に乗っていた息子様が車から降り、私の方にやってきました。お兄様が「言いたいことがあるんです」と言うと、弟様もその後ろにつかれました。2人の表情は、吹っ切れたように爽やかでした。「本当にありがとうございました。米澤さんに会えて本当に良かった」と涙をうっすらと浮かべながらお辞儀をされました。私はうれしくて、言葉につまり、涙をこらえながら深々と頭を下げました。

担当者の想い

担当者:米澤 遼太

葬儀は私にとって一番大切で、人のためにできる「志事」です。
担当者:米澤 遼太

ティアでは「仕事」のことを「志事」と書いています。お客様のために、志を持って尽くすことが「志事」です。そして私にとって、葬儀は一番大切であり、人のためにできる志事だと私は思っています。後から聞くと、2人の息子様が泣かなかったのは、泣くことでお兄様は弟様に、弟様はお兄様に心配をかけてはいけないとお互いに気遣われていたのだそうです。人の心は本当に奥深いです。人の心を動かすことができるのは、また人の心であるのだなと実感しています。