TEAR Last Episode

故人様とご遺族の願いを形にした、グラウンドの祭壇。

担当者 江原 智之
施行会館 ティア相模大塚

「野球のグラウンドの祭壇を作ってもらえませんか?」

「野球のグラウンドの祭壇を作って夫に見せてあげたいんです。そうしたら元気になるかもしれない」。このような依頼を受け、私は少し躊躇しました。同時に「こんなに早くこの時が来るとは」と驚きを隠せませんでした。

故人様は、その時、肺炎をこじらせて集中治療室にいました。故人様の奥様とは自治会で面識があり、故人様にも何度かお会いしたことがありました。まだ元気だった頃から、「僕が死んだ時は、野球のグラウンドの祭壇にしてほしい」とおっしゃっていたのを思い出しました。私の記憶の中には元気だった故人様の姿しかありませんでした。

奥様から、リトルリーグ(硬式野球チーム)に入った小学生の息子様を応援するために、遠征などに付き添っていくうち、いつの間にか審判をするようになったこと。その審判の能力を買われ、地域の大きな野球大会で審判を務めるまでになったことを聞き、「躊躇している場合じゃない。絶対にグラウンドの祭壇を作って、見せて差し上げたい」と、「分かりました。必ずお作りします」と奥様に告げました。

願いを叶えるために。試行錯誤を繰り返す。

早速、ネットで検索してイメージを固め、懇意にしている生花店に相談しました。花だけで大きなグラウンドを作るとなると膨大な費用がかかってしまう。「板や発砲スチロールを使ったらどうだろう?」「ライトを野球のボールにしてみたら?」など、お互いにアイデアを出し合いました。「とにかく作ってみます」と生花店の担当者は、祭壇の製作に取りかかってくれました。

しかし、奥様から相談をもらった5日後、ご主人様は還らぬ人となり、完成したグラウンドの祭壇を見せることは叶いませんでした。本当に、悔しい気持ちで一杯でしたが、だからこそ、絶対に祭壇を完成させようと強く決心を固めました。

思い出の品を飾り、故人様の生前を想う。

間もなく、生花店から「グラウンドの祭壇、完成しましたよ」と連絡がありました。何度も試行錯誤して完成した祭壇は、素晴らしいものでした。グラウンドは、ベニヤ板と発泡スチロール、人工芝でできていました。スコアボードや広告までも再現されていて、左右の丸いライトは赤いテープを細かく切ったものが縫い目のように貼られ、見事に野球ボールに仕上がっていました。私は生花店に「本当にありがとうございました」と何度もお礼を言いました。

通夜当日、はじめて目にした息子様と奥様はとても驚かれ、「すごい!親父、めちゃくちゃ喜ぶよ!ありがとうございます」ととても喜んでくださり、満足されているようでした。参列されたご遺族や野球関係者や自治会の皆様も同様に驚かれていました。

喪主である息子様は、祭壇をバックに挨拶をされました。「父は、何十年も審判をしてきて、その活動が認められ、メダルや賞状もたくさんもらいました。飾ろうと思って靴箱から取り出したスパイクはどれも綺麗に手入れされていました。マメで真面目な父でした」。

思い出コーナーには、綺麗に手入れされたスパイクとユニホーム、数々のメダルと賞状を飾りました。そしてお別れの時、棺には、審判のルールブックとお気に入りだったポロシャツを納めました。「江原さん、本当にありがとう」と、奥様も息子様も、涙を流しながらも、笑顔を見せてくれました。故人様が生前に、この祭壇を見たら、元気になってくれていただろうか。今でもときどき、故人様の顔を思い浮かべます。

担当者の想い

担当者:江原 智之

想いに沿った葬儀を提案し、実現する。
担当者:江原 智之

私にも息子がいます。ですから、故人様が息子様に付き添って応援したり、自分自身でも審判をされるようになった気持ちは分かります。それもあって絶対にグラウンドの祭壇を完成させようと思いました。私は葬儀の施行に対して、とくに自己流のこだわりを持っていません。故人様はどんな人で、どんなものが好きだったのか、ご遺族がどのように故人様を送りたいか、そういったことをなるべく聞き出して、その想いに沿った葬儀を提案し、実現すること。それによって満足と感動をご遺族の方々に与えることができると思っています。