その他の法要

「法事・法要」

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法事・法要の本来の意味は、亡くなった人のための追善供養だけを指すのではなく、寺院が行う仏教行事全般のことを言います。お彼岸やお盆などの行事も法要のひとつ。お釈迦様の誕生会「 観仏会 かんぶつえ 」、宗派の開祖の誕生会「 降誕会 ごうたんえ 」などのお祝い事や、除夜会、元旦会なども法要に含まれ、これらの仏教行事の多くは誰でも参加することができます。 仏壇を購入したときや墓所が完成したときにも法要が営まれます。その際の法要は「開眼供養」、「入仏法要」(※宗派によって異なる)と言われ、親戚一同が集いやすい四十九日法要や納骨法要、一周忌法要などと一緒に行われることが多いようです。

1. お盆

お盆は、正式には 盂蘭盆会 うらぼんえ と言います。故人や先祖の霊が1年に一度家に帰って来ると言われており、その霊を迎え供養する期間がお盆です。 本来のお盆は、旧暦の7月13日から16日。現在では8月の同じ期間にお盆の行事をする地方が多いようです。 精霊棚 しょうりょうだな (盆棚)もしくは仏壇に、精進料理を供えた霊供膳(仏膳)や、季節の物を供えてお盆のしつらえをします。 13日の夕方に、家の前で 焙烙 ほうろく という素焼きの皿の上でおがら(麻がらのこと)を焚いて、「迎え火」として故人や先祖の霊を迎えます。墓参りをしたあと、墓地で盆提灯に明かりを灯し、霊を自宅まで導いて帰ってくるという風習を行う地域もあります。 この時期に、菩提寺のご住職が檀家を回ってお経をあげる、 棚経 たなぎょう を行う地域もあります。 浄土真宗では、迎え火で霊をお迎えする慣わしはありませんが、お盆の間は盆提灯を飾って、仏様と先祖に報恩感謝をささげます。 先祖の霊は14・15日を家族とともに過ごします。 16日には再び火を焚いて「送り火」として送り出します。京都の有名な大文字焼きも送り火のひとつです。 実際に火を焚くのが難しい場合は、盆提灯を飾って迎え火、送り火とします。盆提灯はその家に霊が滞在しているしるしとされています。

お盆の起源

仏説盂蘭盆経 ぶっせつ うらんばーな 」によれば、その昔お釈迦様の十大弟子の一人で神通力がずば抜けていた「 目連尊者 もくれんそんじゃ 」がある日のこと、亡くなった母親があの世でどうしているのだろうと神通力で死後の世界を探ってみました。するとなんということか、母親は餓鬼道に堕ちてやせ衰え、見るも無残な変わり果てた姿になっていました。驚いた目連は母親を救うべく神通力でもって食べ物や水を供養しようとしますが、餓鬼地獄では食べ物や水は食べようとすると燃えあがってしまうという責め苦を負う世界で、彼の神通力ではどうにもなりませんでした。困り果てた目連はお釈迦様に相談しました。話を聞いたお釈迦様は目連尊者に静かに言いました。「目連よ、そなたの母は愛情深い人だったが、その愛はお前一人にのみ注がれて他の人には全く施すことをしない、自分勝手な行いがあった。その罪障はあまりに重く、それに比べてそなたの修行の日は浅く一人の力ではどうすることもできないであろう。母を救うには毎年7月15日に多くの諸仏衆生にたくさんのごちそうを供養すれば、その功徳によって母は餓鬼道から救われるであろう。 」 目連尊者は言われた通りに多くの諸仏衆生にたくさんのごちそうを供養し、やがて母は無事救われました。これがお盆行事(施餓鬼供養→施喰供養)の起源になったとされています。

新盆・盆提灯

新盆は四十九日の忌明け後に迎える初めてのお盆のことで、「にいぼん・しんぼん・はつぼん」などと呼びます。家族が集まり、親戚を招いて手厚く供養します。 四十九日を迎える前にお盆が来たときは、翌年が新盆になります。ご住職にお経をあげてもらう場合も多いです。故人の霊が初めて帰ってくるお盆なので、霊が迷わないように、お盆の間は軒先や仏間に新盆用の白提灯を吊るします。 仏壇の両脇や精霊棚の両脇に絵柄の入った盆提灯を一対、二対と飾ります。飾るスペースがないときは、片側にひとつだけ飾る場合もあります。また地域によっては、近親者が盆提灯を贈る習慣もあります。 新盆用の白提灯は、玄関や縁側の軒先や仏壇の前に吊るします。白提灯はローソクの火を灯せるようになっていますが、危ないので火を入れないで、ただお飾りするだけで迎え火とする場合も多く見られます。 新盆用の白提灯は送り火で燃やしたり、菩提寺で供養処分してもらいます。それができないときは、火袋に少しだけ火を入れて燃やして、形だけお焚き上げにしてから、火を消して新聞紙などに包んで処分しても良いです。絵柄の入った盆提灯は毎年飾るものなので、火袋のほこりを払い落とし、部品をよく拭いてから箱に保管しておきます。防虫剤を入れておくと安心です。

精霊棚

盆棚とも言います。多くの地方では12日か13日の朝に、故人や先祖の霊を迎えるための 精霊棚 しょうりょうだな を作ります。仏壇の前に小机を置き、 真菰 まこも のゴザを敷いて精霊棚を作ります。その上に位牌を中心に安置し、香炉、花立、燭台を置き、お花、ナスやキュウリ、季節の野菜や果物、精進料理を供えた霊供膳(仏膳)などを供えます。蓮の葉にナスやキュウリをさいの目に刻んで洗い米と一緒に入れた「水の子」、蓮の葉に水をたらした「 閼伽水 あかみず 」、みそはぎ、ほおずき、などを供える場合もあります。 故人や先祖の霊の乗り物として、キュウリの馬とナスの牛を供えるのも昔からの慣わしです。霊が馬に乗って一刻も早くこの世に帰り、牛に乗ってゆっくりとあの世に戻っていくようにという願いが込められています。 精霊棚を作るスペースがないときは、仏壇のなかに供えても構いません。 真菰などのお盆用品は、スーパーなどで買い求めることができます。

盆踊り

最近では宗教的な色合いは薄れてきましたが、元来盆踊りは、お盆に帰ってきた故人や先祖の霊を慰め、無事に送り帰すための宗教的な行事でした。 また、帰ってきた霊が供養のおかげで成仏できた喜びを、踊りで表現しているとも言われています。

2. お彼岸

お彼岸は春分の日と秋分の日を 中日 ちゅうにち とし、前後の3日を合わせた7日間を言います。お彼岸の初日を「彼岸の入り」、最終日を「彼岸の明け」と言います。仏教で「彼岸」とは向こう岸に渡るという意味です。迷いのこの世( 此岸 しがん )から、川の向こうの悟りの世界に渡るために教えを守り、行いを慎むのが本来の彼岸の意味です。 現在では、彼岸の日には家族そろってお墓参りをするのが慣習となっています。お墓参りに特別の作法はありません。墓石をきれいに洗い、周りも掃除して花や線香を供えます。手桶から水をすくい、墓石の上からかけて合掌礼拝します。家庭では仏壇を掃除し、花や季節の果物、ぼたもち、おはぎ等を供え、故人や先祖の供養をします。 この時期は先祖供養の期間として、お寺では「 彼岸会 ひがんえ 」の法事が行われます。

彼岸の意味

彼岸という言葉は、古代インド語のパーラミター(波羅蜜多)が語源で、「彼の岸へ至る」という意味です。煩悩や迷いに満ちたこの世を「 此岸 しがん 」というのに対し、悟りの世界・仏の世界を「彼岸」といいます。悟りの世界に至るために、仏教には「六波羅蜜の教え」があります。
布施 ふせ
他人へ施しをすること
持戒 じかい
戒を守り、反省すること
忍辱 にんにく
不平不満をいわず耐え忍ぶこと
精進 しょうじん
精進努力すること
禅定 ぜんじょう
心を安定させること
智慧 ちえ
真実を見る智慧を働かせること

お彼岸と祝日

「国民祝日に関する法律」によりますと、「春分の日」は「自然をたたえ、生物をいつくしむ」、「秋分の日」は「先祖をうやまい、亡くなった人を偲ぶ」と書かれています。まさに仏教の精神そのものであります。

牡丹餅 ぼたんもち=ぼたもち 」と「 御萩 おはぎ

材料は同じですが、春のお彼岸に食べるものは「 牡丹餅 ぼたんもち=ぼたもち 」で、秋のお彼岸に食べるのが「 御萩 おはぎ 」と呼ばれます。「倭漢三才図会」に「牡丹餅および萩の花は、形、色をもってこれを名づく」とあるように、季節によって呼び名をかえたものです。 また「お萩」は粒餡で作りますが、粒がその季節の「萩の花」に似ていることから名がつけられたというのに対して、こし餡で作る「牡丹餅」は、握った指の跡を「牡丹の花」に見立てて名付けられたとも言われています。現代ではほとんど混同されていますが、実際には夏と冬にも正式な呼び名が存在します。 ここでは季節ごとの「ぼたもち」の呼び名とその由来を挙げてみました。
牡丹餅 ぼたんもち=ぼたもち
牡丹の花が咲く季節、すなわち春の彼岸に、神仏や先祖への供物とされました。 「おこわ~米飯」を小豆のこし餡で包んで作るため、握った指の跡を牡丹の花に見立てたことから名付けられました。
夜船 よふね
ぼたもちとは餅と作り方が異なるため、「ペッタン、ペッタン」のような音を出さずに作ることができます。そのため、隣に住む人には、いつついたのか分からない。そこで、「つき知らず」→「着き知らず」と言葉遊びをして、夜は暗くて船がいつ着いたのかわからないことから名付けられました。
御萩 おはぎ
小豆餡の粒の様子を秋の彼岸の時期に咲く萩の花に見立てたことから名付けられました。
北窓 きたまど
夜船と同じように、「つき知らず」→「月知らず(北の窓からは月は見えない)」という言葉遊びから名付けられました。